前と同じ関係には戻らないかもしれないが、やれることはやったのだ(その意味では完壁だ)し、まったく自分を弱い立場において(完壁に)、しかも自分は不完全だという事実を全面的に(その意味で完壁に)受け入れたのだ。
あなたも少しずつ、できるようになる。
こうした「完壁な」方法は、完壁主義のように、自己破滅的なプレッシャーをかけはしない。
自分の不完全さを受け入れられるようになるし、つい完壁にやろうとしたときのブレーキになる。
つねに誰かを喜ばせることはできない。
そうわかった以上、もう繰り返さない決心がついただろう。
自分を受け入れた人は、今までよりもっと現実的に、自分の不完全さとつきあっていける。
何かを引き受ける前にその重さをはかる。
完壁にやろうとしたら、自分を叱る。
自分に厳しくしすぎない。
適切な批判には同意する。
完壁であるよう押しつける人は避ける。
人との関係を築くために3つの完壁な方法を使う。
完壁主義の癖は、折にふれ首をもたげるだろうが、もうその癖に支配され、がっかりすることはない。
あなたは自分の現実的で高い基準を保ち、「私は、みんなを楽しませているだろうか」と気にかける代わりに、「人として、今までより自分に忠実だと感じているか」と自問すればいい。
依然として、人に好かれたいと思う自分はいるだろう。
大切な人の期待に合わせて、いい気分を味わうことがあるだろう。
相手を楽しませようと結構エネルギーも使うだろう。
だが、もう自分の不完全さを受け入れているのだから、受け入れてもらえないとか拒否されたといった、重たい気持ちに悩むことはない。
もう、完壁主義はやめよう。
その週は、税金の申告書類を作成し、出しそびれていた手紙を書き、友達と長距離ウォーキングのプランを練るなど、忙しい週だった。
木曜の夜になってやっと、何週間ぶりかで2時間ほど時間ができ、前々から読みたいと思っていた小説がやっと読めると思った矢先、友達から電話がかかってきた。
手伝ってもらいたいコミュニティ・プロジェクトがあるという。
もちろん、「いいとも。
すぐ行く」と答えた。
その晩、くたくたに疲れてベッドに入りながら、何か腹立たしくてたまらなかった。
1970年代のことだ。
オークランドの自宅の玄関に出て、愛犬のテリアのレーダーを呼ぼうと口笛を吹いたところ、幸白が出ない。
何度やってもだめで、気がつくと頬から唇にかけてしびれていた。
昔から口笛は得意だったから、驚きはすぐに心配に変わった。
